mano.cat Diary


2011-03-18 葬儀

_ 慈雲院春曉妙欣大姉

14時から葬儀。

午前中は、町を歩いたり実家に戻って部屋を見たりして過ごす。

11時ごろから、あれこれと準備が始まり、

あまり悲しんでいる余裕もないような状況。

弔電の順番なんかどうでもいいと思うが、

そうもいかない。

お坊さんから、母の戒名(法名)が決まったと教わる。

慈雲院春曉妙欣大姉。

立派で美しいが、

それが母を意味するのだとは、心が受け付けない。

受付が始まり、予定を大きく上回る百数十名の参列者。

母が人気者だったのを思い知る。

受付や香典の整理は、俊ちゃんが中心になって、

進めてくれた。感謝。

_ 葬儀

葬儀は静かに進む。

三倉屋の人が細かく指示を出してくれるので、

僕は何も考えず従っているだけ。

読経の声を聞いているうちに、

また涙が溢れてくる。

喪主として毅然としていようと思っていたが、

こぼれる涙を止める術はなかった。

最後の挨拶では、

「母は、自分のことはいつも後回しで、他人のことばかり心配し、

せっかちで、ポジティブで、明るい人だった。

月末には嫁を連れて来て、一緒に暮らそうと話すつもりだった。

無愛想で親不孝な息子で申し訳なかったが、

もう少しだけ、待っていてほしかった。

慌てて逝ってしまったのは母らしいが、

間に合わなかったことが無念でならない。」

と話した。

後で、叔父たちに「いい話だった」と褒められた。

_ 斎場へ

斎場へは、僕が位牌、妹が遺影を持つ。

伯父が最年長者として式を仕切るつもりだったのか、

しきりに挨拶をしたがっていたので、

斎場へ向かうバスの前での挨拶は任せることにした。

僕は先にバスに乗ったので、何を話したのか知らない。

_ 火葬炉

斎場。いくつかの手続きの後、火葬炉に入っていくお棺。

現実感がない。現実感がないが、涙が止まらない。

待っている間、叔父たちや従兄弟たちと話す。

他愛もない思い出話で笑ったりしながら、

誰もが時折目に涙を溜めて黙り込む。

母が、兄弟たちにもこんなに愛されていたのだと、

あらためて感じる。

_ お骨というモノ

お骨を拾う段になって、

頭が混乱する。

純然たる「モノ」になってしまった母。

説明を聞きながら骨を見て、

「あれが母さんの大腿骨、あれが肩の関節」という状況に、

どうしても馴染めない違和感があった。

靖久叔父が「食べさせてくれ」と名乗り出て、骨を齧る。

少し驚いたが、そういう風習を聞いたことがあるようにも思う。

途中、頭蓋骨の内側に褐色の汚れがあるのを見て、

担当者が「脳内に大量の出血があったようです」と説明。

やはり、脳溢血だった。母は苦しまずに逝ったのだ。

佳子と目を合わせ、少しほっとした。

独りっきりの寒い夜、母さんが苦しみながら死んだなんて、

考えたくなかった。

_ ごめんな

実家に帰り、店の片隅に作った即席の仏壇に祭って、

あらためて母さんの遺影と向かい合う。

「ごめんな」という詫びの言葉しか出てこなかった。

何度も何度も謝り、静かに泣いた。

_ 母さんの部屋

夜、母さんの部屋、母さんの寝具で眠る。

小さく、寒く、暗く、居心地の悪い部屋。

短歌の草稿や携帯電話、

カレンダーの書き込みや走り書きのメモなどに囲まれて、

母さんが過ごした独りの夜を実感する。

さぞ寂しかっただろうと、あらためて泣いた。

何度も何度も泣いた。

もう、何もしてあげられなくなったことが悔しくて

本当に悔しくて仕方がなかった。

_ 母さん。母さん。ごめんな。ほんまに、ごめんな。


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