mano.cat Diary


2011-04-20 五七忌

_ 五七忌

4/19(火)、母の五七忌のため、鴨島へ。

片道6~7時間かかるので、

18日(月)のうちに鴨島入りしておいた。

今回は新神戸まで新幹線、そこから高速バス。

12時38分のひかりで出て、鴨島駅に18時40分着。

ほぼロスなしの乗り継ぎで、6時間だった。

_ 大量の食器

18日の夜は佳子と話しながら、食器類を整理。

佳子によると、昔は2階で頻繁に宴が催されていたそうで

(なぜか、僕にはその記憶がないのだが)

大人数用の食器が無数に出てくる。

真野家は地域の名家だったそうだから、

時節ごとにいろんな催しがあったんだろう。

大半は大きさや数だけ揃った安物だったので、

よさそうなものを選んで佳子と分けた。

_ 法要

当日は11時から法要。

佳子が購入した塗り位牌の開眼を行い、

四十九日(七七忌)を兼ねる。

命日が3月16日なので本来の四十九日は5月3日だが、

3~5と三月に渡るのを嫌う縁起担ぎがあるんだそうだ。

法要から会食が恙無く終わり、

とりあえずこれで忌明けとなる。

忌明けのお知らせは、

香典返しと一緒にGift Japanへ発注済。

_ 形見分け

実家で、叔母たちに形見分けの着物を選んでもらう。

佳子がよさそうなものを見繕ってくれてあり、

これも概ね問題なく進んだ。

(千恵子伯母が欲しがっていた物を、

僕が先に三里用にと取ってしまっていたが。

まあ、伯母には他にもあげたものがあるし。)

_ ルイ・イカールのエッチング

靖久叔父と秀彬叔父が店で

壁にかかっている絵の話をしていた。

アールデコのエッチングは、

靖久叔父から母が50万か70万くらいで買ったそう。

ルイ・イカールのもので、

もとはロッキー青木コレクションのひとつだって。

これは僕が目をつけていて、もらった。

薔薇の絵は秀彬叔父の父親(笠置)の絵で、

叔父が持ち帰りたいと言ったが、

こっちは佳子が欲しがっていたので却下。

小さい頃から見てた絵だから、と言ってた。

秀彬叔父いわく「なんだ、おまえら目が利くな」と。

_ 母さんの隠し場所

僕は着物をもらっても仕方ないので、

(母が作ってくれた大島が行方不明だが)

カルチェの時計を形見にもらった。

佳子はずっとエメラルドの帯留めを探しているが、

まだ見つからない。

皇居の食事会に招待された時の着物も。

母さん、どこにしまいこんだの。

_ 伯父伯母

伯父はこの数日、体調を崩していたそうで、

会食の後は寝込んでしまった。

伯母も、夜は一緒に焼肉へ、などと話していたが、

結局「疲れちゃったから」と電話がありキャンセル。

祭壇を置かせてもらっていたので、気を遣わせたと思う。

ありがとうございました。

_ 再び食器整理

夜、ふたたび佳子と食器の整理。

翌朝(20日)も続きをやったが、

やはり二人とも疲れてしまっていて、あまり進まない。

といっても、僕は何をしたわけでもないのだが。

佳子には苦労をかける。

だいぶ体調が悪そうだったが、大丈夫だろうか。

申し訳ない。

眠れなくてもぞもぞしていた明け方、

救急車のサイレンが聞こえ、伯父伯母を心配する。

_ 帰路

20日の午前中に鴨島を発った。

徳島のそごう(八百秀)で土産を買う。

靖久叔父に梱包してもらった絵も持っているので、

移動には一苦労。

心臓を気遣わねばならない場面が多々ある。

神戸へ向かうバスの中で、また泣けてくる。

母さん、安らかに。

_ 龍雲寺

4時過ぎには戻れたので、墓の話をしに龍雲寺へ。

住職の息子らしき坊さんと1時間ほど話す。

お墓を建てることは可能で墓所に空きもあるし、

永代利用料は確かに高いが無理なほどではない。

(55~75万円)

石材店の指定もない。

_ 改宗が要件

ただ、臨済宗への改宗はかなり面倒が伴いそう。

また母の「慈雲院春暁妙欣大姉」という法名は、

改宗してもそのまま使える形式だが、

非常に立派なもの(ここらだと100万円)なので、

催しごとはそれなりの規模にする必要があり、

お金がかかるだろうとのこと。

改宗と同時に名付けなおす案もあると言われたが、

せっかく綺麗で立派な戒名なのに。

立地や雰囲気の点で龍雲寺は魅力的だし、

いろいろ附合する偶然もあって気になるのだが、

安くて面倒な規制のない、

民営霊園も考えてみることにする。

_ 三里から電話

夜、三里から電話があったが、

くたびれ果てていて、ろくに話さなかった。

ごめんね。


日記内検索

最近の更新