1882年着工、1883年よりガウディが担当。現在も建築中。カタロニア・モダニズムの最も良く知られた作品であり、バルセロナ市のシンボルである。
完成まで300年と予想されたが、スペインの経済成長や入場料収入などに支えられて進捗がよく、ガウディ没後100周年目の2026年に完成するとされている。
綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、
放物線状の構造を持つアーチや、鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻など、大胆な建築様式を見せる。生前のガウディが実現出来たのは地下聖堂と生誕のファサードなどであり、これらは2005年にユネスコの世界文化遺産に指定された。
贖罪教会なので、作業の財政は喜捨に頼っており、建築は遅々として進まなかったが、1990年代以降は作品の世評の高まりが財政状況を好転させた。
民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が、すべて個人の寄付に依って建設される贖罪教会として計画し、初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受けた。1882年3月19日に着工したが意見の対立から翌年にビリャールは辞任。その後を引き継いで2代目建築家に任命されたのが、当時は未だ無名だったアントニ・ガウディである。
以降、ガウディは設計を一から練り直し、1926年に亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。
ガウディは仔細な設計図を残しておらず、大型模型や紐と錘を用いた実験道具(フニクラ)を使って構造を検討したとされる。スペイン内戦でそれらの模型の多くは壊され、ガウディの構想に基き弟子たちが作成した資料などは大部分が消失した。ガウディの死後、もはや忠実にガウディの構想通りとはならないこの建築物の建造を続けるべきかという議論があったが、職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど、残されたわずかな資料を元に、時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測する形で現在も建設が行われている。
北ファサード、イエスの誕生を表す東ファサード、イエスの受難を表す西ファサードや内陣、身廊などはほぼ完成したが、イエスの栄光を表すメインファサード、18本建てられる内の10本の塔が未完成。これらの塔は、12本が12使徒、4本が福音記者、1本が聖母マリア、1本がイエス・キリストを象徴するものとされる。
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